この記事の目次
還元率という言葉を、最後に目にしたのはいつでしょうか。宝くじにも公営競技にも、その数字が商品の表面に書かれていることはまずありません。日本の宝くじの還元率はおよそ50%です。1万円分を購入した時点で、平均すれば5,000円は戻ってこない計算になります。
いま米国で急拡大している予測市場(プレディクション・マーケット)は、この還元率が98%を超えます。そして2026年5月、最大手のPolymarketが2030年までの日本での規制認可取得を目標に、ロビー活動を開始したと報じられました(出典: https://www.coindesk.com/policy/2026/05/22/polymarket-aims-for-prediction-market-approval-in-japan-by-2030)。
注意したいのは、この2030年が日本政府の工程表でも金融庁の方針でもないという点です。日本の入場時期を、米国の一民間企業が自社の計画として設定しているという状態にあります。これはギャンブルの話に見えて、実際には金融インフラと制度設計の話です。そして日本側は、まだ議題にすら載せていません。
胴元がいない市場:還元率50%と98%の断層
予測市場とは、将来発生する特定の出来事の成否に資金を投じ、その取引価格から発生確率を読み取る仕組みです。金融理論上は二項選択型のイベント・デリバティブに分類されます。
参加者は、的中すれば1ドルが支払われるチケットを売買します。ある事象の発生確率が65%と見積もられていれば、チケットは0.65ドルで取引されます。的中すれば1ドルを受け取り、外れれば0.65ドルを失う。つまり価格そのものが、市場参加者による確率の推定値になっています。対象は選挙にとどまらず、消費者物価指数の上昇率、政策金利の変更時期、特定都市の最高気温、企業の決算指標まで、客観的なデータで勝敗を判定できる事象すべてに広がっています。
この仕組みの決定的な特徴は、胴元がいないことです。
| 市場形態 | 胴元の取り分 | 推定還元率 | 途中決済 |
| 宝くじ | 約50% | 約50% | 不可 |
| 公営競技(競馬等) | 約20〜30% | 約70〜80% | 不可 |
| 伝統的ブックメーカー | 約5〜10% | 約90〜95% | 一部可 |
| 予測市場 | 約0〜2% | 約98〜99% | いつでも可 |
競馬などの公営競技が採用するパリミューチュエル方式は、集まった賭け金からまず主催者の取り分を差し引き、残りを的中者で分ける仕組みです。主催者は原則としてリスクを負いません。ブックメーカーは自らオッズを設定し、両側に資金が均等に集まるよう調整して自社のリスクを消します。いずれも、参加者の外側に取り分を確保する席が用意されているわけです。
一方の予測市場は、東京証券取引所と同じ中央指値注文板(CLOB:買い注文と売り注文を突き合わせる板)の構造を採っています。価格は参加者同士の需給だけで決まり、胴元の席がそもそも存在しません。学術的な調査では、最低水準の取引手数料は1.56%程度とされています。結果が確定するまで資金が拘束される賭け事と異なり、事象の発生前に価格が動いた段階で自由に売却できる点も、賭博よりデリバティブ取引に近い性質を示しています。
集合知の正体は、120億円を投じた調査設計だった
予測市場が世論調査より高い精度を示す理由は、しばしば集合知という言葉で説明されます。ただし実態は、もう少し即物的です。
2024年の米大統領選で、大手メディアの世論調査が最後まで接戦を報じ続けたのに対し、Polymarketの価格は早い段階から一貫してトランプ氏優勢を示していました。この価格形成を主導したのが、フランス人クジラと呼ばれた匿名のトレーダーです。当初は市場操作や無謀な賭けと疑われましたが、後の取材で判明したのは徹底した調査投資でした。
このトレーダーは大手調査会社YouGovに独自の調査を委託し、質問設計そのものを変えています。従来の世論調査は、あなたは誰に投票しますかと直接尋ねるため、答えにくい回答が脱落しやすくなります。彼が採用した隣人調査は、あなたの隣人や友人は誰に投票すると思いますかと他者の動向を尋ねる形式でした。回答者の心理的な抵抗が取り除かれ、表に出にくかった支持動向が捉えられたのです。最終的な利益は約8,000万ドル、日本円でおよそ120億円に達しました。
ここで見るべきは金額ではなく、因果の向きです。巨額の利益機会があったからこそ、調査機関が自前ではやらなかった手法に民間資本が投じられた。予測市場は意見を平均する場ではなく、偏った情報を持つ人がそれを市場に出すことで報酬を得る、情報集約の仕組みとして機能します。Polymarketの創業者シェイン・コプラン氏が、価格こそ最も優れた予測になり得るとしたハイエクの分散知識論に影響を受けている、という話も腑に落ちるところです。
米国は3年かけて、賭博を金融に書き換えた
見落とされがちですが、米国自身も一度この市場を締め出しています。2022年1月、米商品先物取引委員会(CFTC)はPolymarketに約140万ドルの罰金と国内サービス停止を命じました。2023年9月には、選挙の予測市場は賭博に該当するとして上場を差し止めています。
風向きが変わったのは司法の場でした。2024年9月、コロンビア特別区連邦地裁のジア・コブ判事は、CFTCが法文上の賭博の解釈を逸脱して権限を乱用したと認定し、命令を無効としました。CFTCは上訴したものの棄却され、2025年5月には上訴自体を全面的に取り下げます。ここで、公認取引所における合法的な政治デリバティブ取引が定着しました。
続いて州との争いが起きます。Kalshiがスポーツイベントの契約を上場すると、ニュージャージー州やネバダ州の賭博規制当局が事業停止命令を出しました。しかし連邦地裁および第3巡回区控訴裁は、商品取引所法に基づくCFTCの専属管轄が州の賭博法に優先すると判断し、州側の執行を止めています。
3年をかけて争われたのは、この商品が儲かるかどうかではありません。これは賭博(Gaming)なのか、金融デリバティブなのかという法解釈の戦争でした。日本での報じられ方が新手のギャンブルや面白い海外サービスにとどまりがちなのに対し、米国では制度そのものの書き換えとして扱われてきた。この温度差は、そのまま準備の差になります。
資本が追認した:3,000億円と1兆ドル
司法判断の確定は、伝統的金融の本格参入を呼び込みました。2025年10月、ニューヨーク証券取引所の親会社であるインターコンチネンタル取引所(ICE)が、Polymarketに最大20億ドル、日本円でおよそ3,000億円の戦略的出資を実施します。評価額は90億ドル、約1.35兆円に達しました。
この出資が意味するのは、資金供給以上のことです。予測市場が生み出す確率データが、株価指数や金利先物と同等の情報価値を持つ金融グレードの資産クラスとして公認されたという宣言でもあります。同年8月には投資ファンド1789 Capitalの出資に伴いドナルド・トランプJr.氏が顧問に就任し、その後CFTCと司法省による調査も終了しました。
市場規模はすでに約2,400億ドル、およそ36兆円。業界の試算では、イベント契約市場の年間取引高は2030年までに1兆ドル、約150兆円規模に達すると予測されています。使われ方も変わりました。試合を面白く見るための賭けではなく、地政学リスクによる供給網の分断に備えるヘッジや、物価統計の発表に伴う資産の目減りを抑える手段として使われ始めています。
積み上がらなかったもの:降りるための制度
ここまでの流れを並べると、ある偏りが見えてきます。司法が賭博ではないと認め、世界最大級の取引所が3,000億円を投じ、経済学の理論が正当性を与え、還元率98%という数字が期待値の良さを裏づける。一つひとつが事実であり、だからこそ、降りる理由が一つずつ消えていきます。
そして、この四つを語る誰一人として、依存症対策の話をしていません。
スポーツベッティングやカジノの領域では、依存症の当事者を救済する公的なプログラムや相談機関が制度として組み込まれています。ところが予測市場が金融市場として扱われる場合、投資は自己責任という整理のもとで、それらのケアの対象から外れる可能性があります。インサイダー取引の扱いも同様です。2026年1月には米国の対ベネズエラ軍事行動に先立ち、関連市場で約40万ドルの不自然な利益を得た口座が検出され、機密情報にアクセスできる兵士が逮捕されました。ただし予測市場のインサイダー取引そのものを直接罰する規定は確立しておらず、多くの場合は情報漏洩など別の容疑でしか処罰できないのが現状です。
資本と権威は積み上がったのに、降りるための制度だけが積み上がっていない。ここが、この市場の最も危うい非対称です。
そしてこの構図は、賭け事に限った話ではありません。撤退基準を決めないまま始めた新規事業を思い浮かべてください。数字が良く見えているうちは誰も終了を言い出せず、大手との提携や業界の追随といった権威づけが増えるほど、降りる判断は難しくなります。入る理由は全員が用意しますが、降りる理由は誰も用意しません。
日本の二重の壁と、誰が引いたのか分からない2030年
日本には、この市場を受け入れるうえで二つの法的な壁があります。
第一に刑法185条の賭博罪です。判例上、賭博は偶然の勝敗に財物を賭けて得喪を争う行為と定義されており、公営競技やパチンコのような特別法上の例外を除けば、民間事業者が個人から資金を集めて結果に応じた配当を行う行為は原則として賭博罪に該当します。
第二に金融商品取引法における原資産の限定列挙です。予測市場を金融デリバティブとして位置づけるには、その対象が法律上あらかじめ列挙されている必要があります。天候デリバティブは政令改正によって公認されましたが、選挙結果や政権の動向はこの列挙に含まれていません。無登録でバイナリーオプションに類似する取引を提供すれば違法と判断されるリスクが高い状態です。現状、日本からは画面を閲覧できるだけにとどまります。
これは遅れであると同時に、いま考える時間が残っている数少ない国だということでもあります。米国にその猶予はもうありません。しかも受け皿は既に国内にあります。WINTICKETやTIPSTARを運営する事業者は公営競技の決済基盤と利用者基盤を持ち、SBIや楽天は証券口座網と私設取引システムの運用経験を持っています。金額上限を設けた個人向けのイベントデリバティブとして金融庁の監督下で設計する案も議論されており、天候デリバティブを追加できたのですから、必要なのは施行令の一行を足す判断だともいえます。
同時に、時計は三つ同時に動いています。Polymarketが掲げる2030年の日本認可、2029年から2030年に予定される大阪の統合型リゾート開業、そして市場規模が1兆ドルに達する予測年です。海外の仕組みをそのまま受け入れれば、手数料収入はすべて国外へ流れ、いわゆるデジタル赤字がさらに拡大します。制度を作るか、作らないまま入場だけが始まるか。選べる時間は、あと数年です。
まとめ
第一に、予測市場は胴元のいない取引所型の仕組みであり、還元率は98%を超えます。宝くじの50%と比べれば、期待値の面では圧倒的に有利に見えます。ただし還元率が高いということは、それだけ長く続けられるということでもあります。有利さと安全さは同じ意味ではありません。
第二に、米国は3年の訴訟を経て、この市場を賭博から金融デリバティブへと法的に書き換えました。そこにNYSEの親会社が3,000億円を投じ、正当性の裏づけが完成しています。一方で、依存症対策やインサイダー規制といった降りるための制度は、まだ誰も積み上げていません。
第三に、日本は刑法185条と原資産の限定列挙という二重の壁に守られて、この議論を先送りできています。しかし2030年という期限を引いたのは日本ではなく、米国の一民間企業です。受け皿となる企業も技術も国内に揃っている以上、遅れは準備期間に変えられます。
最後に、一つだけ持ち帰っていただきたい視点があります。自分は情報感度が高いから大丈夫だという感覚は、この市場が最も歓迎する条件です。そして同じことが、あなたが今関わっている事業や投資判断にも当てはまります。始める基準ではなく、やめる基準を先に決めているか。予測市場の話は、その問いを自分の仕事に引き寄せて考えるための、かなり良い教材になるはずです。
参考情報
- Polymarket aims for prediction market approval in Japan by 2030 (https://www.coindesk.com/policy/2026/05/22/polymarket-aims-for-prediction-market-approval-in-japan-by-2030)
- ICE Announces Strategic Investment in Polymarket (https://ir.theice.com/press/news-details/2025/ICE-Announces-Strategic-Investment-in-Polymarket/default.aspx)
- New York Stock Exchange parent company invests $2 billion in Polymarket at $9 billion valuation (https://fortune.com/crypto/2025/10/07/polymarket-2-billion-intercontinental-exchange-new-york-stock-exchange-9-billion/)
- KalshiEX LLC v. CFTC, No. 24-5205 (D.C. Cir. 2024) (https://law.justia.com/cases/federal/appellate-courts/cadc/24-5205/24-5205-2024-10-02.html)
- The Coming Supreme Court Showdown Over Prediction Markets (https://www.city-journal.org/article/supreme-court-prediction-markets-gambling-sports-betting)
- How a French “whale” made over $80 million on Polymarket betting on Trump’s 2024 election win (https://www.cbsnews.com/news/french-whale-made-over-80-million-on-polymarket-betting-on-trump-election-win-60-minutes/)
- Polymarket Receives Strategic Investment from 1789 Capital and Welcomes Donald Trump Jr. to Advisory Board (https://www.prnewswire.com/news-releases/polymarket-receives-strategic-investment-from-1789-capital-and-welcomes-donald-trump-jr-to-advisory-board-302538997.html)
- ポリマーケット、日本で認可取得目指しロビー活動準備か=報道 (https://www.neweconomy.jp/posts/575756)
この記事を書いた人
ビッグテック最前線.com / 編集部
Submarine LLC
Editor Team
